大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)2003号 判決 1982年9月27日
原告
田口コスエ
原告
田口稔
原告
古谷健次
原告
古谷秀夫
原告
青木三枝子
原告
古谷豊
原告
谷井孝子
原告
田口照男
右八名訴訟代理人
蒲田豊彦
同
宇賀神直
同
並河匡彦
同
吉岡良治
同
津留崎直美
同
藤井光男
被告
財団法人鳥潟免疫研究所
右代表者理事
鳥潟高敦
被告
石上敏幸
被告
吉岡広尚
右三名訴訟代理人
井野口勤
同
小寺一矢
右訴訟復代理人
川合宏宣
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実《省略》
理由
一茂は、昭和五一年二月二九日、被告病院において死亡したこと、被告石上は、被告病院の外科部長であり、被告吉岡は、同病院の外科医長で茂の主治医であつたこと、茂は、被告病院との間に診療契約を締結し、同病院の内科でレントゲン撮影によつて胃の検査を受けたところ胃ポリープ症状がある旨の診断を受け、同病院の紹介で市大病院で精密検査を受け、昭和五〇年六月二四日、胃切除手術を受けるため被告病院に入院したこと、被告石上、同吉岡は、同年七月一日、茂の一回目の手術を行い、全身麻酔のもとに胃の三分の二を切除し、切除箇所をビルロート一法で縫合し、開腹箇所も縫合して手術を終え、原告らに対し、手術は成功した旨伝えたこと、一回目の手術後、被告病院より茂に対し、同月四日から流動食が与えられ、茂は同月五日の朝からこれを少しずつ摂取し始めたこと、茂が胸の痛みを訴え、被告らはこれに対し、手術のあとだから多少の痛みは仕方がない、糸を抜くまでの辛抱です等と説明したこと、同月七日、腹部の糸について半分抜糸され、同月八日、残りの半分も抜糸されたこと、同月九日、茂の胸部から腹部にかけての縫合部分が開き内容物が流出したこと、被告石上、松本院長は原告らに対し、右原因は明らかではない旨答えたこと、被告石上、同吉岡は、同月一〇日、全身麻酔のもとで茂の二回目の手術を行い、胃の切除部分について一回目の手術と同じ箇所を縫合わせるとともに、三本のドレーンを挿入して手術を終了したこと、昭和五一年一月以降、茂の腹壁の穴が大きくなつて放置しておくことは危険な状態になつたため、松本院長、被告石上、同吉岡は、同年二月一三日、バイパス方式により三回目の手術を行つたこと、手術後、茂の外腹部が開口し胃が露見する状態となつたため、同月二四日から二五日にかけて傷口の開口部を接合する四回目の手術が行われたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二<証拠>に前記一の争いのない事実を総合すると、茂の病状の経過につき、以下の事実が認められる。
1 茂は、昭和四五年ころから多発性関節ロイマチスによる関節痛のため通院加療していたが、昭和四九年一〇月ころから被告病院整形外科において右治療のためステロイドホルモン剤リンデロンを一回につき0.5ないし一ミリリットルずつ一週間に一度ないし二度関節腔内注入を受けていたところ、昭和五〇年三月初めころから食欲不振、腹部膨満感等の自覚症状があつたので、同月一一日、被告病院内科で診察を受けた。被告病院内科医長の田村宗義医師は、同日、茂を診察し茂の右症状の訴により消化器系統の検査をすると同時に、リューマチがあることや当時六八歳という茂の年令を考慮して動脈硬化等をも調べることとし、直ちに血圧、血沈、検尿の各検査を行い、さらに同月一八日、肝機能検査、腎機能検査、動脈硬化に関する血清脂質、電解質、検便、血沈、蛋白、リューマチの各検査を行うとともに、同年四月九日に胃の透視を行うよう予約した。
2 茂は、被告病院で、同年四月九日、レントゲンによる胃の透視検査、同月一七日、胃カメラによる胃内視鏡検査を受け、胃の透視検査により胃にポリープがあり早期ガンⅠ型も否定できない旨、胃内視鏡検査により胃に隆起性病変があり早期ガンⅡa型も考えられ生検を要する旨それぞれ診断された。そこで田村医師は、同月二三日、市大病院に茂の胃の生検(胃病変部の組織を採取して行う細胞検査)を依頼し、茂は、同年五月一六日、同病院で胃の内視鏡検査及び生検を受けた。同病院における内視鏡検査所見では、胃前底部小彎側にあずき大の隆起性病変を認め、早期ガンⅡa型の疑いがあるないしはATP(異型上皮増殖)である旨、生検所見では、細胞診断定基準ⅢないしⅣに該当し手術を勧めた方がよい旨の診断であつた。
右各診断結果のうち、早期ガンⅠ型は、一九六二年に内視鏡学会で決めた早期胃ガンの内視鏡学的分類のうち隆起型(ポリープ状)のもの、Ⅱa型は右分類のうち表面隆起型のものを意味し、ATPは、病理学的には細胞の異型増殖からガンと判定したい状態であるが細胞面からはガンとは判定し難い状態で、将来ガンになることは否定も肯定もできない不安定な状態であることの意味であり、生検による細胞診断定基準はⅠないしⅤに分類されその内容は、ⅠⅡは悪性の疑いがない(陰性)、Ⅲは悪性の疑いのある異型細胞を認めるが悪性と判定できない(疑陽性)、Ⅳは悪性細胞を少数みとめる(陽性)、Ⅴは悪性細胞を多数みとめる(陽性)、をそれぞれ意味する。
田村医師は、生検の結果に細胞診断定基準Ⅳが含まれていたため早期ガンを疑い、早期摘出の必要性を感じ、同年六月三日、茂の家族に対し電話で生検の結果早期ガンの疑いがあり手術をした方がよいと勧めたうえ、手術に際してのステロイドホルモン常用による危険性についても簡単に説明し、さらに、同月七日被告病院に来院した茂の長男の原告稔に対し、内科での茂に対する診察経過並びに諸検査の結果を説明し、早期ガンの疑いがあること、田村医師としては手術の必要性を感ずるがステロイドホルモンを常用してきたことから手術に際しショックの危険性があること、家族が手術に同意すれば被告病院外科へ紹介する旨説明したうえ手術を勧めたところ、同原告から手術を行うことについての承諾を得た。また、田村医師は、そのころ茂に対し胃の手術を勧め、茂に早期ガンの疑いがあることは告知しなかつたが、手術をしない場合は三か月に一度胃カメラによる検査が必要である旨説明し、茂からも手術についての承諾を得た。
3 田村医師は、茂がステロイドホルモンを常用していたことからその副作用として手術中に不可逆性ショックの生ずる可能性のあることを考慮し、同年六月六日、副腎皮質機能検査を行つた。右検査は二四時間の尿中に含まれる「17KS」(17ケトステロイド)「170HCS」(17ハイドロオキシケトステロイド)を検出するものであり、その正常値は、男性の場合「17KS」が四ないし一七ミリグラム、「170HCS」が三ないし八ミリグラムであるところ、茂の検査結果は、「17KS」4.5ミリグラム、「170HCS」3.4ミリグラムで、下限であるが正常値の範囲内の数値であつた。田村医師は、右検査結果等を考慮のうえ、外科専門の被告病院院長松本経弘、被告病院外科部長の被告石上に茂の手術について相談したところ、ステロイドホルモン常用による副作用の不可逆性ショックについては、麻酔医の承諾があれば手術は可能であるとの結論となつたが、右副作用として創傷の治ゆ状態が悪くなることについては特に話には出なかつた。そして、田村医師は、同月一七日、被告石上あてに茂の手術を依頼するとともに右依頼書にステロイドホルモンの件についてもよろしくお願いする旨付記し、被告石上は、これに応じて田村医師に対し、茂に入院及び手術を勧める旨回答した。
4 被告石上は、同年六月一七日、茂を診察するとともに、茂に対する諸検査の結果、特に生検により細胞診断定基準ⅢないしⅣと診断されていることから、田村医師と同様に早期ガンの疑いがあると判断し、放置して手遅になる危険性をも考慮のうえ手術を行うことを決断した。被告石上は、田村医師からの依頼書及び茂のカルテにより茂がステロイドホルモンを常用していたことは知つており、手術決定にあたりステロイドホルモン常用により、創傷の治り具合が悪くなること、細菌に対する感染に弱いこと、不可逆性ショックを起こす危険性があること等の副作用を懸念したが、一方、即刻手術せず期間を置いた場合にはガンが増殖して手遅となる危険性があることやステロイドホルモン投与による右副作用を除去するため投与を中止しその影響が消滅するのを待つた場合には茂に痛み、発熱、精神状態不安定等のステロイドホルモン離脱症候群の症状が生じてくることをも考慮し、副作用については、田村医師が同年三月一八日に行つた栄養状態の検査(血清検査)につき低蛋白の程度を示すTPの値が6.7で最下限値6.5を上まわつており、AG比(アルブミンとグロブリンとの比率)も1.27で最下限の一を上まわつており、栄養状態が手術の許容範囲内であつたこと、同医師が同年六月六日に行つた副腎皮質機能検査の結果が正常値の範囲内であつたこと及び茂のステロイドホルモン使用量が比較的少なく使用方法も関節腔内への注射によるもので、内服に比して影響がはるかに少ないと考えられたことなどから、ショックについては手術中にソルコーテフを投与することにより防止し得、結局、ステロイドホルモンの副使用は回避可能であると考え、手術による危険よりも手術をしない方の危険が大きいものと判断し、同月一七日、来院した茂の家族に対し手術を勧め、茂は、同月二四日、胃切除手術を受けるため被告病院に入院した。
5 茂は、入院後一週間は特に変化はなく、同年七月一日、被告石上の執刀、被告吉岡及び尾松医師の介助で一回目の手術が行われた。被告病院では手術に際しての麻酔については、市大病院から麻酔の専門の医師が来て担当することになつており、茂の手術についても同病院の田比医師が担当し手術終了まで管理をなし、ショック防止のため手術中にソルコーテフ一〇〇ミリグラムの注射を行つた。被告石上は、術前の内視鏡検査の結果をもとに胃の三分の二を切除し、十二指腸断端と残胃大彎側とをビルロート一法中山法により端々吻合し、胃管を一本捜入するとともに腹腔内にストマイ一グラム、ペニシリン二〇万単位を注入し、腹壁を閉鎖して手術を終了した(一回目の手術の切除部位及び縫合状況は別紙図面第一回手術①②のとおりである。)。そして、切除した胃を大彎側に開いてみると、小彎側中央部に1.1センチメートル×0.9センチメートルの腫瘍があり、その他米粒大の腫瘍も認められたので、被告石上は、右腫瘍部分の組織検査を市大病院中央検査室に依頼したが、同月一〇日の同病院の病理組織診断所見によれば、茂のポリープは粘膜構造がやや粗造で上皮の異型性が認められるが悪性変化と断定できる程高度な変化ではないとの検査結果であつた。
6 一回目の手術後、茂は、同年七月三日までは絶食が続き、同月四日朝から流動食、同月六日から粥食が与えられるようになつたが、痛みのためなかなか食べようとせず、医師らの助言により同月五日には流動食を口にしたものの右胸の痛みを訴えて少量食べただけであつた。茂は看護婦や回診時には医師に対し手術部位の痛みを訴えたので鎮痛剤の投与等が行われ、また、喉にたんがからまつたため吸引等の処置も行われた。茂は、同月三日に一度発熱があつたがその後同月八日までは熱はなく同月九日になつて再度発熱があつた。腹部の創については同月七日半分抜糸され、同月八日残りが抜糸された。ところが、茂は同日ころかなり強い痛みを訴え、同月九日、腹部の創口が開いて胃内容物が流出する事態が生じた。被告石上は、茂を診察し食餌を中止するとともに、茂の家族に対し、胃と腸の縫合部分が破れ胃内容物が腹腔内に流出して腹膜炎を起しているので緊急に手術が必要である旨説明しその了解を得て、同月一〇日、二回目の手術を行つた。
7 二回目の手術は、被告石上執刀、被告吉岡及び松本院長の介助で全身麻酔のもとで行われた。茂の腹部手術創はほとんど開し皮下に膿瘍があつた。被告石上が創を開いてみると、胃の前壁には特に異常はなかつたが胃の吻合部の大彎側やや後壁より直経二ないし三ミリメートルの小さい瘻孔部があり、その周囲は縫合不全を起してそこから胃内容物が漏出しており、腸の方にかけた糸が一本外れた状態になつていた。吻合部の通常の治ゆ過程は、吻合後最初の二、三日は吻合部は糸の物理的結合に依存しているが、五日ないし七日以降は結合細胞や血管の新生が活発となり生理的力でゆ着が進み、その後は特にゆ着を妨げる原因がない限り吻合部をみつけることが難しい程に回復するものであるが、茂の吻合部の大彎側の後壁部分は手術後八日を経過しているのに未だ生理学的なゆ着過程が行われておらず糸の力だけでくつついている状態で、右吻合部付近は浮腫が強く組織は弱くなつており炎症を起していた。被告石上は、茂が胃内容物漏出のため限局性腹膜炎を併発していて新しい部分に吻合すると膿を他へ広げる危険性があつたので、後壁部大彎側下周辺の組織がもろくなつている部分を切取つて新鮮な創口にし周囲の弱い糸を外して一回目の手術と同じ部分を全層縫合により再縫合し、排膿のため吻合部の周囲にドレーンを二本挿入し、腹腔内を洗滌してストマイ一グラム、ペニシリン二〇万単位を注入し、皮下にもドレーンを一本挿入して手術を終つた(二回目の手術時の所見等は別紙図面第二回手術①②③のとおりである。)。手術後被告石上は、原告稔ら茂の家族に対し、茂には申訳ないと述べ、所見として糸が一本外れていた旨を説明した。
8 茂は、二回目の手術後も腹部創口部からの排液が続き縫合不全が生じていると診断され、一時肋膜炎を併発したが、これは治り、同年八月終りころからは松本院長が茂の主治医となつた。松本院長は経口食餌や栄養注射によつて茂の体力が回復すれば縫合不全の自然治ゆもありうると考え経過観察することにした。茂は、同月二〇日からは普通食が与えられるようになり同年九月初めころからは食欲も良くなり消化管内容物のドレーンからの流出も少なくなり、同年一二月初めころには栄養状態も一回目の手術前と同じ位に回復し創も小さくなつたので、松本院長は、一時は、あるいは縫合不全は自然にふさがるのではないかと希望をもつたが、同月末ころになつて茂の容態が悪化し始め、昭和五一年一月に入ると急に腹壁の穴が大きくなり胃壁が腹壁の穴から見え、食べたものがそのまま出てくるような状態となつた。松本院長は、茂をこのまま放置すると縫合不全が更に悪化拡大し栄養障害をきたして危険であると考え、二回目の手術以降の茂に対する貧血の程度や肝機能検査等の一般状態に関する諸検査結果を考慮のうえ、茂及び原告稔ら家族に対し、放置すればどんどん栄養状態が悪くなる旨説明して手術を勧め、その承諾を得て、同年二月一三日、三回目の手術を実施した。
9 三回目の手術は松本院長が執刀し、被告石上、同吉岡の介助で全身麻酔により行われた。胃と十二指腸の吻合部は、二回目の手術においては後壁側の一部が縫合不全を起こしていたのに対し、三回目の手術時は後壁側はゆ着していたが前壁側が全部開していた。松本院長は、開部を再縫合し、さらに吻合部の減圧のため、胃の前壁に空腸を縫合わせ、膵液、胆汁が胃へ戻るのを防ぐため腸々吻合を行い、腹腔内に一本、皮下に一本ドレーンを挿入し、腹腔内にストマイ一グラム、ペニシリン二〇万単位、皮下にカナマイ一グラムを注入し腹壁を縫合して手術を終了した(三回目の手術の所見及び縫合方法は別紙図面第三回手術①②③のとおりである。)。その後、同月二〇日、腹部の半分の抜糸が行われ、同月二二日、残りの抜糸が行われた。ところが、同月二四日夜になつて茂の腹壁の創部が開し腸が露見する状態になり緊急に開部を再縫合する必要が生じた。松本院長は右の連絡を受けただちに被告病院にかけつけ、同日深夜から同月二五日にかけて腹壁開部の再縫合手術(四回目の手術)を行つた。四回目の手術時には胃腸吻合部には縫合不全は発生しておらず、全身麻酔の必要もなかつたので局所麻酔で手術が行われた。
10 茂は、四回目の手術後急激に全身状態が悪化し、血圧が低下し肝機能が衰え、同月二八日には意識障害をきたし呼吸困難となり酸素吸入等の処置を行つたが、結局、同月二九日午前一時二一分死亡した。茂は、同月二〇日ころから肝機能検査結果値が悪化しており、同月二四日の検査結果によればGOT一四八〇、GPT七五二と肝機能が極端に低下しており、茂の直接の死因は急性肝炎と診断された。
11 茂は、多発性関節ロイマチスのためリンデロンの関節腔内注入を受けていたが、一回目の手術から死亡にいたるまでの間もほぼ一週間に一度の割合でリンデロンの注入を受け、また、一回目ないし三回目の各手術中ないし手術後にソルコーテフの投与を受けていた。二回目の手術後一時的にリンデロン注入がなされない時期もあつたがその結果ステロイドホルモン離脱症候群が発現しそれによる痛みを抑えるため、茂についてはピリン系鎮痛剤が使えなかつたこともあつて、手術後も継続してリンデロンの注入投与がなされざるを得なかつた。
<証拠排斥判断略>
三原告らは、被告石上、同吉岡が茂の診察及び手術を行うについて医師としての注意義務に違反して不適切な医療行為をなし、その結果茂が死亡したものであるから、被告病院は診療契約に基づく債務不履行責任ないし民法七一五条に基づく不法行為責任、被告石上、同吉岡は民法七〇九条に基づく不法行為責任を負う旨主張する。
そこで、以下、被告石上、同吉岡が茂に対して行つた診療行為について債務不履行ないし不法行為責任を負うべき不適切な点があつたか否かにつき検討する。
1 原告らは、茂の胃ポリープは市大病院での検査結果によれば悪性のものではなかつたのであるから、そもそも手術の必要性がなかつたにもかかわらず、被告らは診断を誤つて手術を要するものと判断し、不必要な一回目の手術を行つた旨主張する。
なるほど、一回目の手術によつて摘出された茂の腫瘍部の組織検査の結果は悪性変化と断定できる程高度な変化でなかつたことは前記二5で認定したとおりである。しかしながら、<証拠>によれば、現段階においては、手術前に胃腫瘍が悪性のものであるか否かを決定する最も確実な検査方法は生検以外にはなく、医師としては右生検の結果により悪性でないとの確信が得られた場合には直ちに手術をすることなく経過を観察するのが普通であるが、悪性である疑いを持つたときは、胃ガンについては早期摘出が最も効果的な治療方法であることから即刻手術を勧めるのが通例であること、茂の胃ポリープは、手術後の組織検査で結果的には悪性でなかつたことが判明したものであるが、悪性に転化する可能性も十分考えられる性状のものであつたこと、ステロイドホルモンの長期投与者に投与を中止した場合副腎皮質機能が正常回復するには六か月ないし九か月の期間を要するし、その間に痛み、発熱、精神状態の不安定等のステロイドホルモン離脱症候群が発現することが認められる。そして、前記二1ないし4で認定した事実によると、被告石上は、茂の胃生検の結果には細胞診断定基準Ⅳが含まれていることから、茂の胃ポリープは早期ガンの疑いがあると判断し、即刻手術することなく経過を観察して期間を置いた場合にはガンの増殖により手遅になる危険があると考え、他方、茂が六八歳という高令であるうえステロイドホルモンを常用していたところから、手術の際に不可逆性ショックを起す可能性があること、創傷の治り具合が悪くなること、感染に弱いこと等の副作用をも危惧したけれども、ステロイドホルモンの使用量が大量というわけでもなく、内服に比して影響のはるかに少ない関節腔内への注入による投与であつたことや、手術前の茂の栄養状態の検査結果が手術の許容範囲内であり、副腎皮質機能検査の結果も正常値の範囲内であつたことをも考え合せ、茂の病状が胃ガンの疑いで手遅になれば直ちに生命にかかわる性質のものであることに照らすと、手術を行うことによる危険よりも手術をしないで期間を経過することの危険の方がより大きいものと判断したものであつて、前記の認定事実をも合わせ考えると、被告石上が右の判断の下に一回目の手術を行つたことは適切であつて、何ら医師としての注意義務に違反するものとは認められない。手術後の組織検査の結果悪性のものではなかつたことが判明したからといつて、その手術が不要であつたというのは単なる結果論であつて、この点に関する原告らの主張は理由がない。
2 原告らは、被告らが一回目の手術にあたつて茂及びその家族らに対し、茂の病状及び手術の必要性、危険性等について十分な説明をなさず、一回目の手術は茂及びその家族から有効な承諾を得ないで行われた違法な手術であつた旨主張する。
一般に、医師は、患者に対して手術等の侵襲を加えるなどその過程及び予後において一定の蓋然性をもつて悪しき結果の発生が予想される医療行為を行う場合、あるいは死亡等の重大な結果の発生が予測される医療行為を行う場合は、診療契約上の義務ないし右侵襲等に対する承諾を得る前提として、当該患者ないしはその家族に対し、病状、治療方法の内容及び必要性、発生の予想される危険等について、当時の医療水準に照らし相当と思料される事項を説明し、当該患者がその必要性や危険性を十分比較考慮の上右医療行為を受けるか否かを選択することを可能ならしめる義務があるものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、前記二2、4で認定した事実によると、被告病院内科医長の田村医師は生検の結果が判明した後一回目の手術前に原告稔ら茂の家族に対し、早期胃ガンの疑いがあるので胃切除手術を行う必要があることとステロイドホルモン常用による副作用で手術に際しショックの危険性があることを説明し、茂に対してはガンの疑いのあることは話さずに胃の手術の必要がある旨説明し、また、被告石上は、右手術前に来院した茂の家族に対し胃切除手術について説明し手術を勧めたものである。ところで胃ガンの疑いがある場合の胃切除手術の必要性は、放置すれば確実に死亡に至るという病気の性質上、極めて高いものであり、また、六八歳の患者の胃を切除することはそれ自体相当程度の危険性を伴うことは常識的に判断し得ることがらであるから、被告石上らとしては右手術に伴つて生ずることの予測されるあらゆる危険性を具体的に遂一説明するまでの必要はないものと解するのが相当であり、かつ、ガンの疑いがある場合にはガンに対する一般の認識や医療の現況、患者本人に及ぼす心理的影響等を考慮すると、病名を患者本人に告知することが妥当であるかは疑問があるから、田村医師と被告石上が茂や原告稔らその家族に対して手術前になした前記の説明により、手術前に医師に要求される説明義務は十分尽されたものとみるのが相当である。被告石上らが一回目の手術前に茂及びその家族に対し手術の結果縫合不全が発生する危険性も考えられることまでも説明しなかつたとしても、これをもつて医師に手術前に行うことが要求される説明義務に違反したということはできない。この点に関する原告らの主張は理由がない。
3 原告らは、一回目の手術後縫合不全が発生したのは被告石上、同吉岡の不適切な手術もしくは診療行為によるものであるとし、まず、被告石上は一回目の手術の際切除部位を縫合するにあたり糸を一か所かけ忘れ、縫うべき箇所を縫合わせなかつたか、或いは胃腸の接合部の組織に十分な深さをもつて糸をかけずに縫合わせたため縫合不全が発生したものであり、被告石上は二回目の手術後原告稔ら茂の家族にこのことを認める趣旨の説明をした旨主張する。
前記二7の認定事実によると、昭和五〇年七月一〇日の二回目の手術の際、茂の胃の吻合部の大彎側やや後壁よりに直径二ないし三ミリメートルの小さい瘻孔部があり、その周囲は縫合不全を起してそこから胃内容物が漏出しており、胃の方にかけた糸が一本外れた状態になつていたもので、二回目の手術後、被告石上は、原告稔ら茂の家族に対し、茂には申訳けない、糸が一本外れていた旨を述べたものである。
そこで、右縫合不全が被告石上の一回目の手術時の縫合方法の過誤によるものか否かにつき判断する。
<証拠>によれば、縫合不全が発生すると体温上昇、頻脈、白血球増加が目立ち、心窩部に圧痛、筋性防禦が多く認められ、過半数の症例に後出血、肺炎、滲出性肋膜炎等の合併症が発生すること、手術において縫合すべき部位に糸をかけ忘れた場合には手術中から消化管内容が腹腔内へ漏出し、手術直後から縫合不全の症状、腹膜炎が発生すること、縫合不全が発生すると縫口食餌は生理的に不可能になること、茂は、一回目の手術後昭和五〇年七月三日に発熱し白血球も増加しているが、その後同月四日からは体温は下降し、同月九日に再び発熱していること、白血球も同月八日には正常値まで減少しその後また増加していることが認められ、茂は、同月五日には多少とも流動食を口にしていることは前記二6のとおりである。右事実によると、茂の胃腸の縫合不全が被告石上の糸のかけ忘れ等の縫合方法の誤りから生じたものとすれば、当然同月一日の一回目の手術直後に縫合不全が生じてその症状が発現する筈であるのに、実際には縫合不全は右手術後八日経過した同月九日以降に発生したものと認められるから、被告石上が手術に際し胃腸の吻合部に糸をかけ忘れ、縫うべき箇所を縫わなかつたものと認めることはできない。また、鑑定の結果によると、吻合部の組織に糸のかかりが浅くそのために縫合不全が発生した場合には、吻合部の一方の壁の組織を糸が切つて他方の壁に糸が結紮された形のまま残り、その外れた糸の輪がいくつかあるうち格別に小さい輪の糸があることが認められるところ、本件全証拠によつても腸から外れた糸の輪が格別に小さいものであつたことを認めることはできない。なお、被告石上が二回目の手術後原告稔ら茂の家族に対し、糸が一本外れていたと説明し、茂には申訳ないと述べたことは前記認定のとおりであるが、証人神前五郎の証言によると、縫合不全が生じた場合にはその原因の如何を問わず必ず糸が吻合部の一方の組織から外れた状態になることが認められるし、原告田口稔、同谷井孝子及び被告石上敏幸各本人尋問の結果によると、被告石上が右説明をした時期は二回目の手術直後で、縫合不全という予想外の重大な事態が発生し、しかもその原因が明らかでなかつた段階であり、その発言は一回目の手術に誤りがあつたのではないかとの疑念を抱いていた原告稔ら多数の茂の家族からの強い問責的な雰囲気の中で行われたものであることがうかがわれるから、被告石上の右発言があつたことをもつて、直ちに被告石上の縫合に関する過失を認めることはできない。したがつて、原告らのこの点に関する主張は理由がない。
4 次に、原告らは、茂のようにステロイドホルモンを連用している高令の患者を手術する医師は、切除部分の治ゆが弱いことを考慮して、手術前に茂の体質等を十分に検査するとともに、縫合箇所に負担がかからないようにビルロート一法ではなく、同二法で手術すべきであつたにもかかわらず、被告石上は右注意義務に違反し、事前に十分な検査をせず、ビルロート一法で手術をなしたたあ縫合不全を発生させた旨主張する。
<証拠>によれば、胃切除手術後の縫合不全は発生頻度は少ないが発生するとその死亡率は高いことが認められるから、胃切除手術を行う医師としては、手術後の縫合不全発生を予想し得る要因があるときはこれを防止するための最善の方法を講ずべき義務があるというべきであるところ、<証拠>によれば、縫合不全の原因としては、医学上、全身的要因として、低蛋白血症と貧血、ビタミンC及びKの欠乏、老人、動脈硬化症、糖尿病、ガン、結核、腎疾患、肝障害、梅毒などの重症慢性疾患(プーアリスクの患者)、水分、電解質の異常、ステロイドホルモンの長期使用が、局所的要因として、縫合部の血行障害、電気メスや挫滅による縫合部の損傷、縫合部の感染、吻合部の牽引または緊張過度、胃腸管内圧の異常充進、ガン浸潤瘢痕のための不完全縫合があげられており、これらはいずれも創傷治ゆを遅延させる因子であるが、実際にはいくつかの因子が組合わさつて発生するものであり、高令者にあつてはどの因子一つをとつても若年者に比して不利な立場にあり発生率も高くなるとされていることが認められ、被告石上は、一回目の手術前に茂がステロイドホルモンを連用しており、その副作用として創傷の治ゆが遅延するおそれがあることについての認識を有していたことは前記二4で認定したとおりである。
そこで、被告石上の手術前の検査が十分でなかつたか否かについて検討するに、<証拠>及び鑑定の結果によれば、ステロイドホルモン連用によつて創傷の治ゆ遅延が起るのは副腎皮質ホルモンが高値を保つため全般的な蛋白合成の抑制をきたす結果であることが認められるが、ステロイドホルモンの使用量がさして大量という程でもなく、関節腔内への注入の方法で投与を受けていて、副腎皮質機能検査結果が下限とはいえ正常範囲内にあつた茂のような患者の場合にもなお創傷の治ゆ遅延が起り、ひいては縫合不全まで惹起せしめる蓋然的があるか否かについては一回目の手術当時これを肯定する如き臨床例の報告等がなされていたことを認めるに足りる証拠はないのみならず、かえつて、<証拠>及び鑑定の結果によれば、一回目の手術当時ステロイドホルモンの副作用として創傷の治ゆ遅延が起ること自体はわかつていたが具体的にどの位の量をどの程度の期間使用すれば右副作用として縫合不全までが生ずるのかについては判明しておらず、縫合不全を確実に防止するための臨床的対策も前記の縫合不全の原因とされている因子を一つずつ排除ないし軽減させていく以外に特段の手段はなかつたもので、実際に茂に縫合不全が生じたのもステロイドホルモンの投与や高令、体質といつた身体的条件がその一因をなしている疑いはあるものの、各種要因の複合によるものでその真の原因は結局不明であるというほかはないものであることが認められる。右認定の事情に前記1で判示した事実ことに本件手術が胃ガンの疑いによるもので一刻を争う性質のものであつたこと、茂のステロイドホルモンの使用量、投与方法、被告石上が一回目の手術前に考慮に入れた茂の栄養状態や副腎皮質機能検査の結果などをも考え合わせると、被告石上が田村医師が行つた右各検査結果により、手術可能と判断し、茂について縫合不全が発生するおそれがあるとまで予測することなく手術に踏切つたとしてもこれをもつて被告石上に医師として手術前になすべき十分な検査をすべき注意義務に違反する過失があつたということはできないし、また、右縫合不全のおそれを予測しなかつたことに基因して本件縫合不全が発生したとすることもできない。
次に、手術方法の適否について検討するに、<証拠>によると、ビルロート一法は残胃と十二指腸断端とを端々吻合する方法であるのに対して、ビルロート二法は残胃及び十二指腸断端を縫合閉鎖し、別に、空腸を結腸前を通して残胃の前壁に側々吻合する方法であり、被告石上が一回目の手術で採用したビルロート一法中山法はビルロート一法を改良し、胃前壁は全層縫合の上にランベール縫合を追加して補強し、後壁は胃の漿膜筋層に糸をかけ、また膵頭部に胃を全層縫合部のすぐ口側の部において固定すると共に全層縫合後壁を膵頭をもつて被覆し補強する方法で、胃を膵頭に固定することによつて吻合部に離れようとする緊張がかからないようにして縫合不全を防止することを目的とするものであり、ビルロート一法の方が同二法より縫合不全を起しやすい旨の文献もあるが、同一法ことにその改良法である同一法中山法の方が同二法より縫合不全を起しにくい旨の学説もあること、近年ビルロート二法は主として胃ガンでリンパ節の郭清的切除を行う場合に用いるのが好ましいとされているが、郭清的切除でない場合にはむしろ同一法中山法の方が簡単容易で、生理的自然に沿う方法であり、術後の消化吸収も良好で、栄養状態の回復にも有利であるところから、この方法を用いるのが一般であること、茂の病状はリンパ節を除去する郭清的手術を行う必要がなかつたので、被告石上は通例に従つてビルロート一法中山法を採用したことが認められる。
右事実によれば、被告石上が、一回目の手術にビルロート二法を採用しないでビルロート一法中山法を採つたことは胃の切除手術を施行する医師に選択が許される裁量の範囲内のことがらであつて、何ら医師としての注意義務に反する行為ではないというべきである。この点についての原告らの主張は理由がない。
5 原告らは、被告石上が一回目の手術においてドレーンを挿入しなかつたことと一回目の手術後被告石上らが適切な処置を講ずることを怠つたことにより茂に腹膜炎を発生させた旨主張する。
しかし、証人神前五郎の証言及び鑑定の結果によれば、胃の切除手術の際にドレーンを入れることは、縫合不全で消化管内容物が漏出した場合にそれを排出して早期に縫合不全を発見しうることや漏出物による腹膜炎を抑制する効果がある反面、創傷の治りが悪くなるなどの欠点もあつて、一利一害であり、医師によつてこれを入れる者もあれば、入れない者もあるのが実情であることが認められるから、被告石上が一回目の手術の際ドレーンを挿入しなかつたことは前記手術方法と同様に手術にあたる医師に許される裁量の範囲内の行為であつて、医師としての注意義務に反する違法な行為ということはできない。そのうえ、本件では茂の縫合不全及びそれに伴う腹膜炎は昭和五〇年七月九日以降に発生したものであり、同日腹部創口の開が起つたことによつて縫合不全と腹膜炎がその発生直後に判明するに至つたことは前記二6及び右3で認定したとおりであるから、被告石上が一回目の手術に際してドレーンを挿入しなかつたことによる支障は結果的には何も生じなかつたものといわなければならず、また右腹膜炎は縫合不全の発生により、それと同時に生じたものであつて、右腹膜炎が手術後の被告石上らの処置の誤りによつて生じたものと認めるに足る証拠はないから、原告らのこの点に関する主張は理由がない。
また、原告らは、被告石上は二回目の手術において、一回目の手術と同じ部分を縫つたのでは化膿しやすいので避けなければならないのに、一回目の手術と同じ部分を再縫合する不十分な手術を行つた旨主張するが、被告石上は、二回目の手術において、茂が腹膜炎を併発していて新しい部分に吻合すると膿を他へ広げるおそれがあつたため、もろくなつている組織を削つて新鮮な創口にして一回目の手術と同じ部分を再度縫合わせたものであることは前記二7のとおりであるところ、原告田口稔本人尋問の結果中には、原告稔は他の病院の医師から右のような縫合を行えば化膿する旨聞いたとの供述部分があるが右供述はカルテ等確実な資料にも基づかず、茂を診察したこともない医師に対する相談の結果の伝聞にすぎないもので、これが本件の茂の場合に直ちに妥当すると認めることは到底できないのみならず、鑑定の結果によれば、その後の茂の病状の経過に照らすと、二回目の手術の誤りによつて茂に化膿その他の症状悪化が生じたことはなかつたことが認められるのであつて、他に被告石上の行つた右手術方法が特に不適切なものと認めるに足りる証拠はないから、原告らのこの点に関する主張は理由がない。
6 原告らは、被告石上らは、三回目の手術をもつと早い機会に行わなければならなかつたのに、茂を放置して容態を悪化させた旨主張する。
<証拠>によると、縫合不全の対策としては、再手術後は十分な排膿、栄養管理を行い、合併症に注意しながら経過を観察し、全身状態の改善を計つて縫合不全部位を自然に閉鎖せしめるようにすることが肝要であるとされていること、また、縫合不全は自然治ゆもあり得るので栄養状態を保持しながら長期間経過観察を行うが、半年以上たつても閉鎖しないものは手術によつて閉鎖するのがよいとされていること、瘻孔閉鎖のための手術は縫合不全が発生してから二か月ないし三か月以上経過しないと消化管壁が脆弱で再度失敗する可能性があることが認められるところ、茂は昭和五〇年九月初めころから全身状態がよくなり、同年一二月初めころには栄養状態も一回目の手術前と同じ位に回復し創も小さくなつてきたもので経口食餌投与によつて栄養は保持されていたことは前記二8で認定したとおりであり、松本院長及び被告石上らが自然治ゆを期待して経過観察していたことは誤りとはいえないし、右認定事実によれば、松本院長が昭和五一年二月一三日に施行した三回目の手術は経過観察の結果自然治ゆが不可能と判断された時点ですみやかに行われたものと認められ、その判断は適切で原告ら主張のように時期を誤つたものとは認められないから、この点に関する原告らの主張は理由がない。
7 原告らは、茂はたび重なる手術、麻酔の影響で極度に体力を消耗した結果死亡したもので、特に全身麻酔は一年間において三回が人間の限界であるにもかかわらず、本件においては八か月間に三回という右限界をこえた回数を施されたため全身状態の悪化につながつた旨主張する。
鑑定の結果によれば、全身麻酔が茂に対し肉体的、精神的に大きな影響を与えたことが認められるが、茂に対する一回目ないし三回目の手術はいずれも麻酔専門医師の管理下において行われたものであり、一回目から四回目までの各手術はいずれもその時点において茂の病気治療ないし生命維持のため最善の方法と判断され、かつ手術の内容から全身麻酔が不可欠であつたものと認められるから、合計四回にわたる手術及び三回の全身麻酔が茂の全身状態に悪影響を与え、茂死亡の一因となつたことは否定できないとしても右手術とそのための麻酔は茂の治療及び生命維持手段としてやむを得ない処置であつたといわざるをえずこれを被告石上ら医師の責任とすることはできないというべきである。
8 茂は、縫合不全は三回目の手術後は治ゆしたものの、全身状態の悪化により急性肝炎を併発して死亡したことは前記二9、10のとおりである。茂が一回目の手術後縫合不全が発生してから死亡するまで多大の苦痛を味わつたであろうことは想像するに難くない。被告石上ら被告病院の医師が茂の右状態を救うべく努力を尽したが及ばなかつたことは茂及びその家族らにとつて極めて不幸な事態であつたといわざるを得ないが、被告石上、同吉岡ら被告病院の医師が茂に対し初診から死亡までに行つた一連の診療行為について、原告らの主張する如き医師としての注意義務に違反した不適切ないし不十分な処置や診療契約上の債務の履行について不完全な点があつたことを認めることができないことは以上のとおりであり、したがつて、被告石上、同吉岡は本件医療行為につき不法行為による責任を負わないものであり、被告病院も債務不履行ないし不法行為に基づく責任を負うものではないというべきである。<以下、省略>
(山本矩夫 矢村宏 荒井純哉)
別表<省略>